海外で生まれ変わった男のバイリンガル日記

コミュニケーションから逃げ続けた学生時代。人嫌いを克服するために人口世界1位の中国に飛び込むことを決断。ニーハオしか知らないゼロの状態から、現地人と対等にビジネスで渡り合うまでになった道筋を公開!得た経験をもとに英語の基礎を3ヶ月で習得。実践で培ったストリートな言語スキルをお伝えします。

ゼロからの中国語学習、言語を学んで想うこと

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あらためまして、三島智至と申します。

トモと名乗っています。

 

このブログでは、全くのゼロから中国語の学習を始め、
身につけるまでの過程で得た知識や体験を発信しています。

僕が中国語にはじめて出会ったのは、
10年前のことになります。

その頃と比べると、中国語も随分とメジャーな言語になりました。

需要の高まりを肌で実感してます。

 

・学ぶ必要性を実感している

・仕事で中国と関わっている

・中国人の友達またはパートナーがいる

HSK(汉语水平考试)を取得したい

・英語ではなく中国語に興味がある

・英語の次に中国語に挑戦しようと思っている(している)

 

理由は様々だと思いますが、
僕は本気であなたの背中を押したいと思っています。

言語に強い関心があるので、
同じ言語を学ぶ仲間としてサポートしたい気持ちもあります。

ですが、本音を言うと・・・

僕は中国語に恩返しをしたいのです。

中国語は、僕にとって恩人そのものです。

中国という環境によって、生まれ変わる機会をもらいました。

なにを大げさなと思われるかもしれません。

 

どこにも居場所がなかった僕に
はじめて自分を表現する機会を与えてくれた。

それが、中国という場所であり、
中国語という言語のスキルです。

言語というスキルが、僕の世界を広げてくれたのです。

今は、自分だけの言語学習ではなく、
学習者をサポートする活動をしています。

なので、現在は日本に拠点をおいています。

 

中国で生活した期間は、
学生と仕事をあわせて7年住んでいました。

中国での生活を思い返すと、
いくつもの思い出と出会いが走馬灯のように湧き出てきます。

今でも、そのときの感情を鮮明に思い出せます。

思い出すと感傷的になり、思わず涙が溢れてくる
出会いや別れもありました。

心にこれほど深く刻まれるほどに、
インパクトのある体験ばかりでした。

 

中国で住んでいたことを話すと、
ほとんどの人に不思議がられます。

「よく中国に行こうと思ったね?」

「なんで中国を選んだの?」

中国での危険なエピソードや差別などについて
聞き出そうとしているように感じます。


「やっぱり、テレビで報道しているように
問題が多い国なんでしょ!?」と聞かれます。

そういった質問をされる度に、
毎回残念な気持ちになります。

多くの人が中国への偏見で支配されていることに。

 

これは中国に対してだけではありません。
偏見というもので海外へのイメージを縛られている。

偏見という色眼鏡を通してしか、
海外を見れなくなってしまっている。

もちろん、僕も昔は偏見でガチガチに縛られていました。

だからこそ言えることなのですが…
偏見や思い込みが僕達を縛りつけるのです。

偏見が増えれば増えるほど、
思考や行動を縛り、見る世界は狭くなっていきます。

メディアの情報だけに捕らわれず、
自分の目や肌で外の世界を感じてほしい。

まわりが色々言ってくるものですが、
あなたの感覚を信じ抜いてください。

それが、あなたにとって財産につながる
経験につながると僕は信じています。

中国語に限らず、言語を学ぶ過程で、
常に意識してほしいことです。

 

ちなみに僕の両親はともに日本人で、
僕が留学するまで海外に行ったことすらありませんでした。

そんな海外とは縁のない環境で、生まれ育ちました。

 

留学をする前に感じていた中国へのイメージは、
かなり偏見を持った差別的なものでした。

実際に、中国での生活をはじめると…

持っていたイメージと現実が全く異なることに驚愕しました。

 

メディアで言われている情報と現実は、
ほとんどすべてと言っていいぐらい違います。

感覚的に90%以上は事実と異なっています。

「思ったほど悪くないな」というのが、正直な感想でした。

 

確かに環境問題などは深刻ですが、
人に関して言うとフレンドリーな印象があります。

僕自身が中国語を学んでいたというのも
大きく関係していると思います。

 そのたった1つの事実だけで、
相手の接し方が変わってくるのです。

「おぉ、中国語を学んでるのか!?にいちゃん頑張れよ!」

「中国語難しいでしょ!?困ったことあったらなんでも聞いてね。」

 

なかには偏見をもって接してくる人もいたので、
差別が全くなかったと言うと嘘になります。

小声でボソッと悪口を言われたこともあります。

でも、それは日本であっても同じようなもの。

外国人をチラチラ見ながら、ボソボソと言ったりしています。

 

もしかすると、僕が運が良いのかもしれませんが、
出会った中国人はそのほとんどが手助けをしてくれました。

「あたなは友達だから」

たったその一言だけで、サッと手を差し伸べてくれる。

日本では少し古臭くなった
義理や人情みたいなものを感じました。

 

今振り返ってみても、
どうしてあんなに親切にしてくれたんだろう?と

不思議に思うことすらあります。

 

中国語を学んでいるということ。
中国語で必死に伝えようと奮闘していたこと。

それが、自然と相手に歩み寄ろうとしている姿勢に
繋がっていたのだと思います。

片言で話す僕の中国語に、
耳を傾けて聞いてくれるのが心底嬉しかった。

 

日本では、会話する場にいることすら苦痛でした。

うまく話さないといけない。
嫌われたらどうしよう。

そう思えば思うほど、空回りして失敗する。
その繰り返しでした。

コミュニケーションの場は、
僕には罰ゲームとしか思えませんでした。

 

ですが、中国語では上手く話す余裕などなかった。

なんとかして自分が思っていることを伝えないといけない。
人の目すら気にしている余裕はありませんでした。

生活するために必要だから、
使うことから逃げられない環境でした。

とにかく必死だったのを覚えています。

 

不器用なりにも自分を表現していると、
僕の話を真剣に聞いてくれる中国人との出会いが
少しずつ生まれてきました。

僕のことを理解しようとしてくれている人が目の前にいる。

自然と相手を理解したいと思うようになりました。

生まれてはじめて感じたことでした。

 

目の前にいる人に興味を感じたから、
もっと中国語でコミュニケーションを取りたいと思いました。

どんな環境で育ち、どんな現実を持っているのか。
相手を知りたいという気持ちが生まれました。

僕が本気で言語を身につけたいと思ったきっかけです。

 

それまでは、知識を詰め込むだけの勉強をしていました。
ですが、目的が変わると勉強スタイルも大きく変化しました。

 

学んだことを実践の場でテストしてみる。

最初は、ほとんどが上手くいかないことだらけ。
失敗の連続でした。

伝わらなくて、何度も聞き返される。
それでも伝わるまで、繰り返し言い続ける。

分からなかったことを納得いくまで調べ、
足りない知識は勉強してその都度補っていきました。

苦痛ばかりに映るかもしれませんが…

そのコツコツとした作業の先に、
相手とより深く繋がる未来を想像していたのです。

だからむしろ…
楽しいとすら感じていました。

結果としてあらわれるのは、
想像よりは随分と先でしたが。

時間と情熱を注いだ分だけ、
失敗して恥をかいた分だけ、

言語のスキルは育っていきました。

 

もし、僕がコミュニケーションに悩んでいなかったら、
言語の意味や知識を覚えるだけで満足していたかもしれません。

言葉が通じる嬉しさ、人に理解される喜びを
人一倍強く感じることもなかったでしょう。

自分を理解してほしい。
相手のことをもっと知りたい。

表面上の意味が分かるだけでは物足りない。

深い部分で理解したい。
本当の自分を伝えたい。

 

言語のスキルが爆発的に上達する裏側には、
特別な出会いが存在しているものです。 

僕には中国の生活で、
記憶に刻み込まれている女性との出会いがありました。

彼女のことは生涯忘れることはないでしょう。

 

これまでの人生の中で、
あれほど色々と深い話をしたことはありませんでした。

自分の過去をさらけだし、
感情をありのまま伝えました。

腹を割って話すという言葉がピッタリです。

僕がそこまで自分を表現できたのも、
彼女が全力で僕にぶつかってきてくれたからです。

人とぶつかることから逃げ続けてきた僕には、
本当に学びの多い経験となりました。

傷つくことを恐れる限り、
人と深い関係を結ぶことはできないのだと学びました。

 

僕が中国で学んだ1番の収穫は、
すべてのテクニックを忘れることでした。

相手を深く理解するには、
腹を割って話すしかないと悟りました。

単語の意味、表現の使い分けを覚えるのも大事です。

ですが、本気で相手に向き合ったときは、
それらは言ってみればすべてテクニックです。

相手に伝え、理解するために必要だから学ぶものです。

 

最終的には、どれだけ言葉に自分の想いを乗せ、
感情を込められるかだと思うのです。

思い込みや偏見をひとつずつ脱ぎ捨てていく。

お互いの文化背景などを理解した上で、
どれだけ目の前にいる相手と向き合えるか。

そこに無駄なプライドは必要ありません。

面子(メンツ)の国と言われる中国で、
僕は自分の面子と見栄を手放していきました。

 

次回に続きます。