海外で生まれ変わった男のバイリンガル日記

コミュニケーションから逃げ続けた学生時代。人嫌いを克服するために人口世界1位の中国に飛び込むことを決断。ニーハオしか知らないゼロの状態から、現地人と対等にビジネスで渡り合うまでになった道筋を公開!得た経験をもとに英語の基礎を3ヶ月で習得。実践で培ったストリートな言語スキルをお伝えします。

ゼロからの中国語学習、言語を学んで想うこと

f:id:claire0904:20160424041220j:plain

 

あらためまして、三島智至と申します。

トモと名乗っています。

 

このブログでは、全くのゼロから中国語の学習を始め、
身につけるまでの過程で得た知識や体験を発信しています。

僕が中国語にはじめて出会ったのは、
10年前のことになります。

その頃と比べると、中国語も随分とメジャーな言語になりました。

需要の高まりを肌で実感してます。

 

・学ぶ必要性を実感している

・仕事で中国と関わっている

・中国人の友達またはパートナーがいる

HSK(汉语水平考试)を取得したい

・英語ではなく中国語に興味がある

・英語の次に中国語に挑戦しようと思っている(している)

 

理由は様々だと思いますが、
僕は本気であなたの背中を押したいと思っています。

言語に強い関心があるので、
同じ言語を学ぶ仲間としてサポートしたい気持ちもあります。

ですが、本音を言うと・・・

僕は中国語に恩返しをしたいのです。

中国語は、僕にとって恩人そのものです。

中国という環境によって、生まれ変わる機会をもらいました。

なにを大げさなと思われるかもしれません。

 

どこにも居場所がなかった僕に
はじめて自分を表現する機会を与えてくれた。

それが、中国という場所であり、
中国語という言語のスキルです。

言語というスキルが、僕の世界を広げてくれたのです。

今は、自分だけの言語学習ではなく、
学習者をサポートする活動をしています。

なので、現在は日本に拠点をおいています。

 

中国で生活した期間は、
学生と仕事をあわせて7年住んでいました。

中国での生活を思い返すと、
いくつもの思い出と出会いが走馬灯のように湧き出てきます。

今でも、そのときの感情を鮮明に思い出せます。

思い出すと感傷的になり、思わず涙が溢れてくる
出会いや別れもありました。

心にこれほど深く刻まれるほどに、
インパクトのある体験ばかりでした。

 

中国で住んでいたことを話すと、
ほとんどの人に不思議がられます。

「よく中国に行こうと思ったね?」

「なんで中国を選んだの?」

中国での危険なエピソードや差別などについて
聞き出そうとしているように感じます。


「やっぱり、テレビで報道しているように
問題が多い国なんでしょ!?」と聞かれます。

そういった質問をされる度に、
毎回残念な気持ちになります。

多くの人が中国への偏見で支配されていることに。

 

これは中国に対してだけではありません。
偏見というもので海外へのイメージを縛られている。

偏見という色眼鏡を通してしか、
海外を見れなくなってしまっている。

もちろん、僕も昔は偏見でガチガチに縛られていました。

だからこそ言えることなのですが…
偏見や思い込みが僕達を縛りつけるのです。

偏見が増えれば増えるほど、
思考や行動を縛り、見る世界は狭くなっていきます。

メディアの情報だけに捕らわれず、
自分の目や肌で外の世界を感じてほしい。

まわりが色々言ってくるものですが、
あなたの感覚を信じ抜いてください。

それが、あなたにとって財産につながる
経験につながると僕は信じています。

中国語に限らず、言語を学ぶ過程で、
常に意識してほしいことです。

 

ちなみに僕の両親はともに日本人で、
僕が留学するまで海外に行ったことすらありませんでした。

そんな海外とは縁のない環境で、生まれ育ちました。

 

留学をする前に感じていた中国へのイメージは、
かなり偏見を持った差別的なものでした。

実際に、中国での生活をはじめると…

持っていたイメージと現実が全く異なることに驚愕しました。

 

メディアで言われている情報と現実は、
ほとんどすべてと言っていいぐらい違います。

感覚的に90%以上は事実と異なっています。

「思ったほど悪くないな」というのが、正直な感想でした。

 

確かに環境問題などは深刻ですが、
人に関して言うとフレンドリーな印象があります。

僕自身が中国語を学んでいたというのも
大きく関係していると思います。

 そのたった1つの事実だけで、
相手の接し方が変わってくるのです。

「おぉ、中国語を学んでるのか!?にいちゃん頑張れよ!」

「中国語難しいでしょ!?困ったことあったらなんでも聞いてね。」

 

なかには偏見をもって接してくる人もいたので、
差別が全くなかったと言うと嘘になります。

小声でボソッと悪口を言われたこともあります。

でも、それは日本であっても同じようなもの。

外国人をチラチラ見ながら、ボソボソと言ったりしています。

 

もしかすると、僕が運が良いのかもしれませんが、
出会った中国人はそのほとんどが手助けをしてくれました。

「あたなは友達だから」

たったその一言だけで、サッと手を差し伸べてくれる。

日本では少し古臭くなった
義理や人情みたいなものを感じました。

 

今振り返ってみても、
どうしてあんなに親切にしてくれたんだろう?と

不思議に思うことすらあります。

 

中国語を学んでいるということ。
中国語で必死に伝えようと奮闘していたこと。

それが、自然と相手に歩み寄ろうとしている姿勢に
繋がっていたのだと思います。

片言で話す僕の中国語に、
耳を傾けて聞いてくれるのが心底嬉しかった。

 

日本では、会話する場にいることすら苦痛でした。

うまく話さないといけない。
嫌われたらどうしよう。

そう思えば思うほど、空回りして失敗する。
その繰り返しでした。

コミュニケーションの場は、
僕には罰ゲームとしか思えませんでした。

 

ですが、中国語では上手く話す余裕などなかった。

なんとかして自分が思っていることを伝えないといけない。
人の目すら気にしている余裕はありませんでした。

生活するために必要だから、
使うことから逃げられない環境でした。

とにかく必死だったのを覚えています。

 

不器用なりにも自分を表現していると、
僕の話を真剣に聞いてくれる中国人との出会いが
少しずつ生まれてきました。

僕のことを理解しようとしてくれている人が目の前にいる。

自然と相手を理解したいと思うようになりました。

生まれてはじめて感じたことでした。

 

目の前にいる人に興味を感じたから、
もっと中国語でコミュニケーションを取りたいと思いました。

どんな環境で育ち、どんな現実を持っているのか。
相手を知りたいという気持ちが生まれました。

僕が本気で言語を身につけたいと思ったきっかけです。

 

それまでは、知識を詰め込むだけの勉強をしていました。
ですが、目的が変わると勉強スタイルも大きく変化しました。

 

学んだことを実践の場でテストしてみる。

最初は、ほとんどが上手くいかないことだらけ。
失敗の連続でした。

伝わらなくて、何度も聞き返される。
それでも伝わるまで、繰り返し言い続ける。

分からなかったことを納得いくまで調べ、
足りない知識は勉強してその都度補っていきました。

苦痛ばかりに映るかもしれませんが…

そのコツコツとした作業の先に、
相手とより深く繋がる未来を想像していたのです。

だからむしろ…
楽しいとすら感じていました。

結果としてあらわれるのは、
想像よりは随分と先でしたが。

時間と情熱を注いだ分だけ、
失敗して恥をかいた分だけ、

言語のスキルは育っていきました。

 

もし、僕がコミュニケーションに悩んでいなかったら、
言語の意味や知識を覚えるだけで満足していたかもしれません。

言葉が通じる嬉しさ、人に理解される喜びを
人一倍強く感じることもなかったでしょう。

自分を理解してほしい。
相手のことをもっと知りたい。

表面上の意味が分かるだけでは物足りない。

深い部分で理解したい。
本当の自分を伝えたい。

 

言語のスキルが爆発的に上達する裏側には、
特別な出会いが存在しているものです。 

僕には中国の生活で、
記憶に刻み込まれている女性との出会いがありました。

彼女のことは生涯忘れることはないでしょう。

 

これまでの人生の中で、
あれほど色々と深い話をしたことはありませんでした。

自分の過去をさらけだし、
感情をありのまま伝えました。

腹を割って話すという言葉がピッタリです。

僕がそこまで自分を表現できたのも、
彼女が全力で僕にぶつかってきてくれたからです。

人とぶつかることから逃げ続けてきた僕には、
本当に学びの多い経験となりました。

傷つくことを恐れる限り、
人と深い関係を結ぶことはできないのだと学びました。

 

僕が中国で学んだ1番の収穫は、
すべてのテクニックを忘れることでした。

相手を深く理解するには、
腹を割って話すしかないと悟りました。

単語の意味、表現の使い分けを覚えるのも大事です。

ですが、本気で相手に向き合ったときは、
それらは言ってみればすべてテクニックです。

相手に伝え、理解するために必要だから学ぶものです。

 

最終的には、どれだけ言葉に自分の想いを乗せ、
感情を込められるかだと思うのです。

思い込みや偏見をひとつずつ脱ぎ捨てていく。

お互いの文化背景などを理解した上で、
どれだけ目の前にいる相手と向き合えるか。

そこに無駄なプライドは必要ありません。

面子(メンツ)の国と言われる中国で、
僕は自分の面子と見栄を手放していきました。

 

次回に続きます。

 

言語の知識は自分のためだけに学ぶものではない

f:id:claire0904:20160407100816j:plain

 

こんにちは、Claireのトモです。


言語の上達が加速するのに
必要なことはなんだと思いますか?

爆発的な加速を生むためのきっかけとなるもの。


文法だと思いますか?

それとも、発音やリスニングなどの技術でしょうか?


実は、もっとシンプルなものです。


それは、人との出会い。


僕の中国語が爆発的に伸びたとき。
英語が日常会話レベルまで到達したとき。

その両方の影には、人との出会いがありました。

それらの出会いに共通していることは、
僕自身がその相手に非常に興味を感じていたことです。


どこかで聞いたことがあるかもしれませんが、
言語を身につけるには、現地の人と付き合うこと。

俗にいう、異性に対しての興味の場合もありました。


そうではなく、単純にもっと深く話してみたい。
そういう場合もありました。

相手のことを理解したいと思ったときに、
言語を本気で学ぶモードにスイッチが切り替わります。


僕の場合は、人に興味を感じるタイプなので、
相手のことを理解したいと思うと、質問がガンガン浮かんできます。

当然、学びはじめの段階では、
どうやって中国語や英語で表現するのか分かりません。

なので、伝えるために必死で頭を働かせます。

伝わりやすいフレーズを探してきたり、
自分の伝えたいニュアンスにあった単語を見つけようと努力します。


話す相手をイメージしているからこそ、
学ぶことにも積極的になります。

伝えることに本気になります。


文法が合ってるかどうか以上に大事なことです。


自分が言いたいことを伝わりやすくするため、
相手の言ってることを理解する手助けとなるのが文法です。

ただ、淡々と文法だけを意識して、
発音だけをキレイに話しても

そこには価値のあるコミュニケーションは生まれません。


文法や発音、ボキャブラリー(語彙力)などは、
コツコツと学んでいけば必ず身につきます。


「この表現で文法間違ってないかな?」
「俺の発音、どこかおかしくないかな?」

意識して、身につけようとするのは大事です。

ですが、その部分だけにとらわれると、
コミュニケーションのための言語ではなくなります。

それは、ただの答え合わせ。


言語を学ぶには時間がかかります。

多くの時間をかけて、文法のルールを覚えて、
単語の使い方を暗記して…

たくさんの労力をかけて学んだものを、
ただの答え合わせで終わらせてしまうのは勿体なさすぎます。


答え合わせよりも、大事なことがあります。

自分の気持ちを伝える。
相手の気持ちを理解しようと努める。

そのために言語を使っていく。


そう考えたときから、
コミュニケーションがひとつ上の段階に登ります。


「意味が分かればいいや」というレベルで
満足しないでください。

文法の仕組みを理解する。
リスニングを高める。
発音を磨く。
単語量を増やす。

他にも色々ありますが、
それ自体を目的にするのではなく、

コミュニケーションを深めることを目的にする。

そうすると、文法などの知識も
相手を理解し、伝えるために必要なものに変わります。

 

自分で重要だと認識したものは、
しっかりと頭に残るようになります。


なんとなくやっておかないと。
人にやれと言われたから。

そういったものは、なかなか記憶に残りません。


あなたの学ぶ労力、
貴重な時間を無駄にしないためにも

コミュニケーションに繋げることを意識して、
言語を学んで欲しいと願っています。

 


感想・質問などをお待ちしております。

claireclaire0904@gmail.com

 

 

モチベーションを生み出す最大のものとは

  • f:id:claire0904:20160404094659j:plain

 

いよいよ大学での生活がスタートします。

 

まったく予備知識がない僕が入れられたのが…

 

初級ゼロ班!

初級者の中の初級者が集まる班です。

ニーハオしか知らなかったので当然といえば当然です。

 

理解度0%の授業

 

最初の授業に出て驚きました。

授業はすべて中国語で進んでいきます。

先生は、一切日本語で話してくれない。
というか、話せないらしい。

 

少しぐらいは、日本語で説明してくれるだろうと
思っていた僕が甘かったです。

ただただ、黒板に書かれた
意味の分からない漢字を書き写しました。

 

1番苦痛だと感じていたのが発音の授業です。 

あれは、僕にとっては完全に罰ゲームでした。

 

先生が手本を見せてから…

「はい、あなたやってみて!」とジェスチャーで促します。

 

ひとりずつ回ってきます。

そして、自分の番がやってくる。

 

話すことが苦手な僕は、
音を出すことをためらっていました。

うまくできるまで何度もやらされます。
当然、他の生徒からも注目されます。

 

人の目に晒されたことで、余計に萎縮してしまう。

毎回のように、自分のところで止まってしまうのが
嫌で仕方ありませんでした。

 

もう二度とあんな風に注目されたくない。

それから、コソコソと発音練習をするようになりました。

 

発音を練習して上手くなりたいという気持ちではなく、
なんとかあの嫌な発音練習の授業をやり過ごしたい。

そんな思いで練習していました。

 

伝えるために悪戦苦闘

 

生活はというと…

学校内にあるホテルの1室のような寮に住んでいました。

2人部屋でルームメイトがいました。

 

その彼は、日本人なのですが、
僕とは正反対のアクティブな性格をしていました。 

自分が話せないのもお構い無しで、
色んな中国人に声をかけていました。

しかも、すぐに仲良くなっている。

 

「彼は、何者なんだ!?」

僕には、魔法でも使ったように思えたものです。

 

そんな彼に引き連れられて、
中国人の集まりに行くことも度々ありました。

 彼は自由な性格だったので、
急に用事を思い出して「あとはよろしく!」と帰ったりします。

当然、僕がその中国人たちの相手をするしかありません。

 

「ヤバイ、どうしよう!?」という
僕の気持ちなんか気にせず、

相手はガンガン色々と聞いてきます。

 

授業や単語帳で知った数少ない単語を
並べて伝えるしかありません。

発音ができないので、
単語を伝えるのにも一苦労でした。

 

言葉で表現できないことは、
ジェスチャーで伝えるしかありません。

電子辞書で必死に検索してみたり、
絵に描いてみたり。

 

伝えることに必死でした。

 

彼が自由すぎたおかげで、
実践する機会を何度も貰いました。

言い間違うことは日常茶飯事。

笑われたり、うまく伝わらないことばかり。

それでも、なんとか自分の言葉で伝えようと、
必死だったのだと思います。

 

このときばかりは、
人の目を気にする余裕がありませんでした。

あの手、この手で言葉を並べる。
手も動かし、身体も使って表現する。

 

「あぁ!分かった!」 

相手がそう言うのを聞いて、
伝わったのが分かると、小さな達成感がありました。

 

「やった!伝わった!」 

最初に伝わったあの喜びは、言葉にできません。

 

伝わらないのが当たり前の世界。
そんな中で、伝えることができた喜び。 

今なら、きっと簡単にできてしまうことです。

 

その喜びがすべての始まりでした。

 

 言葉は伝えるためにある。

相手に伝わるまで伝える。

それが、コミュニケーション。

 

それと同時に、自分の中にも伝えたいことや思いが
あることに気づきました。 

ずっと昔からあったのかもしれません。

ただ、自分をずっと押さえつけてきたから気づかなかった。

 

自分の殻が少しずつ剥がれ落ちていくようでした。

大きく脱皮するのは、ずっと先の話です。

 

 

感想・質問などをお待ちしております。

claireclaire0904@gmail.com

 

 

言語を学ぶ=アートを学ぶ

f:id:claire0904:20160402232317j:plain

 

こんにちは、Claire(クレア)のトモです。

 

言語というと、まず頭に浮かんでくるのは、
学校で学んだ英語だと思います。 

そのイメージがあまりにも強いせいか、
「言語を学ぶ=教科であり学問」と考えてしまうかもしれません。

 

確かに、様々な知識を学ばなければなりません。
なので、知識を学ぶという側面はあります。

 

言語=アート

 

実際に使うとなると、
教科というよりは、完全にアートの世界です。

 

教科というイメージが強いと、
単語を覚えたり、文法のルールを暗記することにとらわれます。

そういった知識を詰め込むのも大事ですが、
その目的はなんなのかという考えが抜け落ちてしまいがちです。

 

『言語=アート』だと考えると、
自分自身の考えや感情を言葉というものを使って表現する。

 

かなりクリエイティブな営みだと言えます。

 

そして、自分も表現するように、
話している相手も自分を表現しています。

 

相手の伝えたい意味や意図を感じ取る。

それが、本来のリスニングの在り方かもしれません。

 

みんなが完全に自由に表現してしまうと、
めちゃくちゃなことになってしまうので
ある程度のルールに則って表現していきます。

 

文法のルールや単語の意味というのは、
お互いの意思を伝わりやすくするために
共通の認識を持っておくという働きもあります。

 

基準はあなた自身

 

こう考えていくと・・・

 

言語を学ぶというのは、
あなた自身が表現者となり、自分を発信していくことです。

 

もしくは、相手の表現を感じ取り、

理解するというように芸術を嗜むようなものです。

 

アートには絶対の正解がありません。

僕の中では、言語にも絶対の正解はないと思っています。

 

ひとつの表現であっても、人によって伝え方は異なります。

言い換えれば、伝え方は無限にあるということです。

 

確かにお決まりの表現フレーズなども存在しますが、
実際には、数種類・数十種類の表現方法があります。

 

その中にも、ある程度のパターンというものがあるので、
重要なものをピックアップして学んでいく感じです。

 

まず考える必要があるのは、
あなた自身がなにを表現したいか、どう表現したいかです。

 

基準は常にあなた自身です。

 

あなたの伝えたいこと・表現したいことがあるから、
それを伝えるためにフレーズを学ぶ。

 覚えなければならないではなく、

伝えたいから学ぶ必要がある。

 

そういった意識で言語に取り組んでいくと、
学ぶ姿勢そのものが大きく変わります。

 決して、やらされる勉強にはなりません。

 

 

あなた×言語=あなたの作品

 

学んだ単語や文法のルールを使って、
自分が感じていることや思っていることをカタチにしていく。

作品というと少し大げさですが、
あなた自身に言葉を掛けわせて、小さな作品を生み出していくことです。

 

すべて、あなたという存在があってはじめて、
言語というツールが生きてきます。

 

言語はあくまで、表現するためのツールであって、
土台となるのはあなた自身です。

 

ただ暗記して、ただ復唱するだけ。

そんな文やフレーズには色は出ない。

 

最初は、表現すること自体が難しいので、
よく使うフレーズや文法のパターンを学びます。

 

ある程度、基本となるカタチを取り入れたあとは、
あなたの思考や経験に言語を掛けあわせて発信してください。

 

そのとき目の前に広がっているのは、
学校で知った英語の授業とは全くの別世界です。

 

自分という存在をクリエイティブに発揮し、
表現するという興味深い世界です。

 

だから、僕は言語にどっぷりハマっているのだと思います。

かなり面白い世界です。

 

グローバルなアートな世界があなたを待っています。

 

そんな気持ちからはじまる言語学習があってもいいのではないでしょうか?

 

では、また更新します。

 

 

言語を身につけることを困難にする意外な特徴とは

f:id:claire0904:20160402232606j:plain

 

 

こんにちは、Claire(クレア)のトモです。

 

今日はこれまで、言語を学んでいる人を観察してきて

発見したことをシェアしていきます。

 

僕も言語を学んでいるので、

言語を学んでいる人を観察する習慣があります。

 

言語は続けていくのがすべて

言語を身につけるには、

ある程度のまとまった期間が必要です。

 

継続力というひとつの言葉でまとめることもできます。

 

これまでは、継続力というのは、

生まれつき持っている特徴のようなものだと思っていました。

 

でも、実際は違うことに気づきました。

 

言語を学ぶのが次第に辛くなって来る人と、

そこまで苦がなく続けていける人の違いをお伝えします。

 

それは…

 

頑張りすぎないことです。

 

勉強するのに、頑張らないなんておかしいと思われたかもしれません。

 

頑張らないと言っても、

勉強をしないということではなく

 

自分なりのペースをもって、

ゆるくやっていくことのできる人を指します。

 

ここで大事なのは、自分に合ったペースだということ。

 

最初からガンガン勉強するのが苦にならないタイプも存在します。

 

ですが多くの場合、

最初の3日ぐらいがモチベーションのピークです。

 

その後は、ガクっとやる気が下がります。

 

そうなってくると、勉強をやる気が起きなくなります。

 

英語や中国語を身につけたい気持ちはある。

だけど、やる気が起きない。

 

当然、やめる方向にむかってしまいます。

 

いきなり頂上を目指すのは困難

「よし、やってやるぞ!」と意気込んではじめると、

いきなり大きな目標を設定してしまいがちです。

 

1年でネイティブレベルの会話力を身につける。

6ヶ月でTOEICで満点を取る。

3ヶ月で映画を字幕なしで理解できるようになる。

 

これらの目標は、時間の設定にも無理がありますが、

それと同時に目指しているレベルが非常に高いです。

 

ここまでのレベルをいきなり目指すのはオススメできません。

 

実際に到達するまでは、1年〜2年といった

長いスパンで考える必要があります。

 

さらに、その期間ずっとコツコツと

継続していかなければなりません。

 

続けることさえできれば、

これらの目標を達成するのは可能です。

 

ただ、これだと達成感を味わうのは、

少なく見積もっても1年後です。

 

行動を継続し、時間さえかけることができれば、

言語を身につけることができます。

 

でも、実際は継続自体が難しいと感じる人が大半です。

 

小さなハードルを超えて勢いをつける

では、どうやって続けていくのか?

 

まずは、小さなハードルから始めることです。

 

今の自分にも超えられそうだと感じられるものにします。

本当に簡単すぎるぐらいのものを設定します。

 

それをこまめに置いていきます。

 

ひとつ超えたら、少しだけハードルを上げます。

 

「少し難しそうだけど、なんとかできそう。」

自分でちょっと背伸びしているぐらいがベストです。

 

小さなゴールを作る。

通過する頃に次の新たなゴールを作る。

 

小さなゴールを通過し、達成感を味わいながら、

次に目指すところも決めていく。

 

やるときは、目の前のゴールを通過することに集中する。

 

ひとつのゴールを通過する度に、

喜びを感じ背中を押してもらうことができます。

 

ひとつ、ふたつと通過していくと、

次第に勢いが出てきます。

 

勉強するサイクルが回りだし、流れに乗ってきた証拠です。

 

雪だるまを作るときも、最初は小さいですが…

コロコロと転がしている間に大きくなってきます。

 

雪だるま式にやる気が高まり、

達成感を味わいながら成長していきます。

 

その秘訣は、小さくスタートすること。

そして、ゆったりと学んでいく。

 

小さな1歩を侮ってはいけません。

 

ほんの小さなきっかけが、小さな流れを生み出し、

大きな結果を作り出す源流となります。

 

これが、バタフライエフェクトというものです。

 

僕が英語を学ぶと決めた日は、

ただ会話のフレーズ集を1冊買って机においただけです。

 

本すら開いていません。

 

次の日は、ペラっと1ページか2ページほど読んだだけです。

 

最初のスタートは、

これぐらい小さなところからで大丈夫です。

 

安心してください。

徐々に勢いがついてきますから。

 

そこでスイッチが入りますので、

そうなったらガンガン学ぶ量を増やしていきましょう。

 

まずは、流れの起点を作ること。

 

小さな行動があなたの1年後を変える。

その可能性を少しでも感じた瞬間が動くときです。

 

焦る必要はありません。

 

あなたのペースで言語を楽しんでいきましょう。

 

では、また次回。